2013年に公開された三谷幸喜監督の映画「清須会議」では、超豪華な俳優陣が、個性的なキャラクター達を見事に演じきっているところに驚かされます。

特に三法師の母・松姫役で、初めて三谷作品に出演した剛力彩芽さんが、眉を剃ってお歯黒の強烈なビジュアルで、松姫役を怪演したところが印象に残ります。

ところで、剛力彩芽さんが熱演した三法師の母・松姫は実在の人物なのでしょうか?

また清須会議で最終的に織田家のあとを継ぐことになった三法師ですが、その後どうなったのでしょうか?

気になりますので調べてご紹介します!

 

 



剛力彩芽が演じた三法師の母・松姫は実在しない?

映画「清須会議」にて、織田家の後継者選びの相関図を次の図に示します。

映画清須会議・織田家相関図
映画「清須会議」での織田家後継者選び相関図

 

織田家の後継者に推薦される次男の織田信雄と三男の織田信孝ですが、松姫は息子の三法師を織田家の後継者にしたいと考えます。

さて、松姫はどうやって三法師を織田家の跡継ぎにするのかが映画の見所ですね。

 

その三法師の母・松姫役を演じたのが剛力彩芽さんですが、目をみはる演技をされています。

眉を剃ってお歯黒をつけた顔もかなりインパクトがあります。

初めて見た時には、ちょっとした衝撃がありますね。

清須会議(映画)の三法師の母・松姫(剛力彩芽)は実在しない松姫と三法師
三法師と松姫(剛力彩芽)
(引用元:映画「清須会議」©2013 フジテレビ 東宝)

 

剛力彩芽さんが演じた松姫が実在したかどうかですが、松姫は武田信玄の五女として生まれていて実在した女性です。

 

しかし織田信長の嫡男・織田信忠と婚約はしたものの、武田家と徳川家が戦った「三方ヶ原の戦い」で、織田家が徳川家に援軍を送ったため、信忠と松姫の婚約は破棄されています。

その後、武田家が滅亡すると松姫は八王子に逃れます。

武田家が滅んで障害が無くなったので、織田信忠は松姫を呼び寄せようとしますが、松姫が迎えを待っている間に本能寺の変が発生し、織田信忠は自刃してしまいます。

松姫は尼(信松尼)になり、八王子のお寺「信松院」で生涯を過ごします。

 

したがって映画「清須会議」の中では松姫は三法師の母となっていますが、実際には織田信忠と松姫は会ったこともないのです。

 

織田信忠と松姫は会ったことはないのですが、文通をしていたとされており、文を交換することでお互いの愛を育んでいたと言われています。

なかなかロマンチックなお話ですね。

もちろん歴史上のお話ですので、諸説あります。

(以上の説の引用元:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASJ4C5DKNJ4CUTIL039.html)

  

では、三法師の本当の母親は誰でしょうか?

調べてみましたが、実際にはよくわかっていないようです。

織田信忠は正室を松姫に決めていたので正室がおらず、三法師は何人かいる側室のうちの誰かの子供であるようです。

 



三法師のその後が気になる?

映画「清須会議」では川で遊んでいた三法師を見た羽柴秀吉が、三法師を跡継ぎにすれば秀吉自身が有利な立場になれると思いつき、三法師を跡継ぎに推薦します。

この時、松姫はたまたま三法師を川で遊ばせていた様に見えましたが、実は三法師を織田家の跡継ぎにするために、松姫は策を巡らせていたのです。

 

川遊びをしていた、松姫(剛力彩芽)と寧(中谷美紀)と三法師に気づいて、三法師を跡継ぎにすることを思いつく秀吉(大泉洋)と黒田官兵衛(寺島進)。

(引用元:映画「清須会議」©2013 フジテレビ 東宝)

 

 

秀吉を利用して、三法師を織田家の跡継ぎにすることに成功したことを、不敵な笑いとともに秀吉の妻の寧(中谷美紀)に話す松姫(剛力彩芽)。

清須会議(映画)の三法師の母・松姫(剛力彩芽)は実在しない松姫の笑い
(引用元:映画「清須会議」©2013 フジテレビ 東宝)

 

この時、松姫は「父上(武田信玄)、あなたの孫が次の天下人」と話します。

剛力彩芽さんの怖い笑顔で、かなりインパクトのあるシーンですが、このあと天下を取ったのは当然羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)です。

ではいったい三法師はその後どうなったのでしょうか?

 

3歳で織田家の当主になった三法師(のちの織田秀信)ですが、当たり前ですがまだ子供なので何もできません。

その間に羽柴秀吉は出世して、三法師(織田秀信)が9歳になる頃には秀吉は太政大臣になっています、国のトップですね。

日本国のトップまで登りつめた秀吉ですが、三法師(織田秀信)とは特にトラブルもなく、それどころかかなり優遇しています。

秀吉は、9歳で元服した三法師(織田秀信)を従四位下行侍従に任官し、官位を持つ大名の中で5番目の地位を与えたり、14歳の頃には美濃国13万石と岐阜城を与えたりしています。

織田家を踏み台にした格好で成り上がった秀吉ですが、三法師(織田秀信)については織田家当主として尊重していたようです。

 

しかし豊臣秀吉が没した後、三法師(織田秀信)は関ヶ原の戦いで石田三成の誘いに乗って西軍についてしまいます。

岐阜城に籠もって激しい攻城戦の末、三法師(織田秀信)は東軍に降伏し、福島正則の必死の助命嘆願ののち高野山に追放されます。

しかし信長が行った高野山攻めが原因で三法師(織田秀信)は高野山からも追放され、1605年に26歳で亡くなりました。

(引用元:Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/織田秀信)

 



 

映画「清須会議」では、三法師の母・松姫(剛力彩芽)が、織田家の跡取りになった三法師が天下人だ!と不敵に話していましたが、これは三谷幸喜監督が話を面白くするために仕込んだフィクションでしょう。

確かに映画については、これはこれで面白かったと思います。

実際には3歳の子供が天下を取れるほど、戦国時代は甘くはないでしょう。

ただ秀吉が三法師(織田秀信)を織田信長の嫡孫として優遇していたことが救いですね。

 

 

今回は、映画「清須会議」で三法師の母・松姫が実在したかどうか、三法師のその後について紹介しました。

その結果は次の通りです。

  • 松姫は実在したが、三法師の母親ではない
  • 三法師のその後は、秀吉に優遇されるも、秀吉の死後関ヶ原の戦いで西軍につき敗戦、高野山に追放され若くして亡くなった

しかし、歴史には諸説ありますので、映画「清須会議」の物語が、意外と現実に近かったのかもしれませんよ。

そう考えながら、豪華キャストの大作映画を鑑賞すれば、きっと何倍も楽しめるのではないかと思います。

 

この記事がお役に立ちましたら幸いです。